お知らせ&見学会
- 甘粕事件 大杉栄のおい 橘宗一少年6歳で惨殺される
- 2024.01.13
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橘宗一少年の墓 現在(あま市七宝町秋竹 直心寺地内)
<所在地>あま市七宝町秋竹四町田828 名古屋駅 名鉄バスセンタ-から七宝安松行き 七宝町桂バス停から徒歩3分
<概要>
橘宗一少年は,1917年(大正6)にアメリカ移民の父と大杉栄(おおすぎさかえ)の妹との間に長男として生まれた。1923年(大正12),家族はアメリカから日本に帰国する。しかし,その年の9月1日に関東大震災が発生する。その際に少年は,横浜に滞在していた。おじの大杉栄に預けられていたのである。大杉は無政府主義者で,当時の政府に警戒されていた人物の一人である。大震災の混乱の中,東京憲兵隊分隊長,甘粕正彦(あまかすまさひこ)は,大杉と青鞜社(せいとうしゃ)に参加し,婦人解放運動や社会主義運動に活躍した伊藤野枝(いとうのえ)と,この橘少年を逮捕し,虐殺した。世に言う「甘粕事件」である。少年の墓は,昭和初期に父親により建てられた後に放置されていたが,日泰寺から現在はあま市七宝町秋竹 直心寺に移設 先祖の菩提寺に置かれている。
<学習のポイント>
甘粕は軍法会議で懲役10年の判決を受けたが,後に半減され,出獄後に満州(まんしゅう)で実力者となる。「社会主義」が,治安警察法(ちあんけいさつほう)で弾圧されていた時代背景を理解しよう。また,伊藤野枝が属した青鞜社について調べてみよう。
<見学のポイント>
少年の墓は,直心寺の墓地内で見ることができる。墓の保存会が結成されている。
<参考資料>
「名古屋いまむかし」
<墓碑 所在地>
あま市七宝町秋竹 直心寺(愛知エースネット様 記事から引用させて頂きました。)